「第二章は、いらない子」
第一章のできが案外と良かったもんで、それで満足して第二章はスルーしていた。(テレビで第二章は観た)
それでも最終章は気になって、劇場まで足を運んだ。
映画にした意味のある内容で、その点は良かった。
改良された巨大ロボットがオモチャに見えたのは、敵が子供じみてるからと思えばおかしくはないし、野外ライブはバカバカしくも、音のある映画ならではのシーンとして楽しめた。
そして原作は、トモダチの正体ゆえに「世紀の駄作」とも評されたけれど、映画版は綺麗にまとめていたと思う。
でも、酷い話だ。
あの宇多田ヒカルの元夫が手掛けた実写版『「CASSHERN』を思い出してしまった。
しかも、あっちの敵のボスは唐沢寿明だし(笑)
結局、敵が人類を滅ぼそうと思った動機が、実は主人公が悪かったというオチ。
これをどんでん返しとでも思っているのか。
もっと早い段階で明かされていれば、そのあとの展開しだいで主人公の贖罪の行動を丁寧に描けて、観客も同情を抱けるのに、最後の方で明かされたのでは、主人公に呆れることしかできないではないか。
しかも今作品では、敵を倒してから、いわば主人公の心の世界で、やり残していたことをやって、自己満足でEND。
人類の大半を死に追いやって、敵も主人公も人間的に成長しないって、押井守監督の作品よりも悪意に満ちてるぞ。
映画としての出来は悪くないとしても、物語としては後味の悪い作品となった。
おおっ、子供時代の思い出は苦い物というアイロニィを表してるのか。
ところで……、最終章の冒頭で、これまでの粗筋が語られ、最終章の中でフラッシュバックするシーンは第一章からばかりということは、第二章はいらなかったのでは?