死を連想させる替え歌

 まるで梅雨入りしたかと思うくらいの、空気の重い雨である。
 こんな日はやはり、腰痛や肩こりの患者さんが来る。
 そして腰痛と言うと、今でも冷シップを求める患者さんがいる。
 テレビや雑誌などで誤った健康情報はあっと言う間に広まるのに、こうゆう基本的な情報は何故か行き渡らない。
 腰痛の原因は色々とあり、そのメカニズムは多用だが、血流の阻害と神経の圧迫などが、やはり基本的だ。
 その場合、冷やしてしまうと血行が悪くなるし、筋肉が萎縮して神経を痛めつけてしまう。だから、温シップなどの方が望ましい。
 漢方薬では、冷えが原因の場合は桂枝加朮附湯(けいしかじゅつぶとう)、加齢が原因の場合は八味地黄丸(はちみじおうがん)といったところか。
 午後になって、パソコンの操作を教えにこの間の患者さんの家に。
 なんと、名簿をほとんど打ち終えている。
 ホントに憶えの早い人だと感心。
 これでは、あまり教える必要が無いような気もする。
 なので、便利な小技をちょこちょこと教えた。この方が役に立ちそうだ。
 帰り際に、例によってお金を包まれて困った。
 一応は受け取ったものの、あきらかにもらい過ぎである。
 何かの折に、旅行のお土産などで返した方が断り続けるよりは楽かもしれない。
 埼玉の小学校の校長先生が、生徒に『ドレミの歌』の替え歌で死を連想させる歌を教えたとかで問題になっているというニュース。 
「ドはどくろのド、レは霊柩車のレ、ミはミイラのミ、ファはふぁかば(墓場)のファ、ソは葬式のソ、ラはドラキュラのラ……さあ、死にましょう」と言うのが歌詞の内容らしい。
 ファとラは、ちと苦しいと思うがなぁ(笑)
 問題になったのは、教えられた生徒が母親の前で歌って、母親が学校に抗議し、それが教育委員会にまで伝わって、校長先生が謝罪するという事態になったようだ。
 私としては、その母親にまず呆れる。
 生徒と同じ目線で悪ふざけが出来る教師の価値がまったく分かっていない。
 例えば実際に子供がイジメなどのもっと悪い事をした時に、こうゆう先生に叱られたら、素直に反省するだろう。子供は、えてして“仲間”は大切にするものだ。
 しかし、あれやこれやと細かい事を言って叱られたりすると、まず反省などしない。その場では「ごめんなさい」と言ってはみても、心の中では舌を出したりしているだろう。
 賭けてもいいが、この母親は自分の子供の教育に「熱心だけど手を焼いている」と想像する。そして、上手くいかない原因を別な所に求めていて、これ幸いと飛びついて抗議したのだと思う。
 この校長先生を軽率だとみる向きもあるだろうが、子供の頃に“立派な大人”に反発した経験があるのなら、そう責めるべきものではない。
 私は、つねに大人と子供が友達関係である必要は無いと思っている。
 むしろ、「いつも子供の目線で」なんて言うのは、大人の役割と責任を放棄しているとしか思えない。
 だが、親近感は必要だ。それを何で持つかは、それぞれの嗜好や得意分野で考えればいい。
 悪趣味な替え歌としては、メジャーなのはお正月の歌だろうか。
「もういくつ寝ると~ お正月~♪ お正月には餅ついて~ 喉に詰まらせ死んじゃった~♪ 早く来い来い 霊柩車~♪」
 あと、ひな祭りの歌も子供たちの間では受け継がれているようである。
「明かりをつけたら消えちゃった~♪ お花をあげたら枯れちゃった~♪ 五人囃しは皆殺し~♪ 今日は悲しいひな祭り~♪」
 比較的新しくて私が今でも気に入っているのは、『ちびまるこちゃん』『おどるポンポコリン』だ。
「あの子もこの子もみんな~♪ 天皇陛下の兵だ~♪ トラックの中からボワッと~♪ 過激派 爆弾 登場~♪ いつだって 忘れない 天皇は 偉いんだ~♪ そんなの常識~♪」
 これ以上はアブナイので自粛(笑)
 しかし、これもまた文化なのだと言う認識が出来ないようでは、子供に良い教育も出来ないと言う事を忘れてはいけない。
 何故なら、良い事と悪い事は、両方揃っていなければ比較する事も出来ないのだから。

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