人という字は、一方の人が片方の人に寄りかかってる

 お客様から目薬を希望され棚を案内したところ、主訴は疲れ目で、原因は寝る前に部屋の明かりを消して暗い中でスマホゲームをしているからというお話。
 お説教したいのはやまやまなれど、休みの日には一日中お酒を飲んでるような私には、その資格は無いヽ( ´ー`)ノ
 なので、これはお説教ではなく職務上の情報提供ですが、目に一番良くないのは「暗いところで物を見ること」です。
 よく親や教師なんかが、「ゲームをし過ぎると目が悪くなる」というような説教をするけど、あれは嘘。
 例えば、歩き過ぎたりと足に負担をかければ筋肉疲労とかあるけど、それで足が悪くなる訳ではない。
 まぁ、怪我をしやくすなったり、体の別なところに負担が掛かったりするからケアは必要ですが。
 とにかく、「ゲームをし過ぎると」あるいは「テレビを見過ぎると」とうのは教育的に都合の良い説教をしているうちに、事実と思い込んでしまったパターン。
 その昔、『金八先生』で「人という字は、人と人が支えあってる」とイイ話っぽく語ったのが独り歩きしてしまったようなもんである。
 もちろん、象形文字の変遷から言えば大嘘で、「人という字は歩く姿」だ。
 誰だったか、「一方の人が片方の人に寄りかかってる」と言ってたのが個人的にはツボですが( ̄▽ ̄)
 そう言えば、「音を楽しむと書いて音楽」と教えてる音楽教師がいるそうで。
 ちゃんと、「そう考えると練習も楽しいよね」という話であって、本当は違うということは教えておいてくれないと困る。
 「楽」は「どんぐりをつけた楽器」の象形文字で、昔というか古代では音を奏でるのは現代以上に特殊技能だったため、それができる人は役割を担っていた。
 つまり奏者にとっては、「仕事」だったんである。
 興味深いのは、日本においては鎌倉時代に視覚障害者の専業として地位が確立され、それが江戸時代まで制度として続いていたということ。
 その意味において、あの佐村河内守は日本の音楽史に泥を塗ったと思う。
 世を欺くなら、最後までやり通せ。
 あれ(;^ω^)?
 なんの話をしてるか、分からなくなっちゃったよ。
 そうそう、目の酷使自体は目を悪くはしないけど、暗がりで物を見ようとすると確実に視力が落ちますよ。
 深海魚とか、目が退化してるでしょ?
 しかも、スマホからの光は案外強烈で、明るい中でなら拡散されるけど、暗がりでは目に一直線。
 先の歩き過ぎの例で例えるなら、石の飛礫(つぶて)が絶えず足に投げつけられてるようなもんである。
 絶えず傷つけられていれば、傷口は広がっていき、確実にダメージを受ける。
 いっそ部屋の明かりを点けてスマホゲームをした方が、よほど目を守れてマシだ。
 そして、ゲーム後に熱湯に浸したタオルや蒸気アイマスクでケアするのが良いだろう。
 お客様にはそう提案したうえで、『養潤』を案内してお買い上げ頂いた。

 『イソジン』の場所を尋ねられて、お客様を売場に案内。
 でも、価格のせいなのか不要と思われたのか、本日のところは購入されなかった。
 それはまったく構わないのだけれど、一応あくまで予防として使うものだから、現に喉が痛む時には避けるようお話した。
 殺菌消毒するということは、粘膜も傷めつけるという事なので。
 すると、友人から喉が痛む時に使うと早く治ると勧められて、自分も使ってみたら効いた気がするとお話された。
 ああ、今日は売場を確認するだけで、喉が痛くはないから取りやめたのかな?
 その勧めた友人は医療関係者なのか尋ねたら、違いみたいだった。
 これは、後で失礼な質問だったかなと反省。
 その友人を非難したみたいに、受け取られかねないし、それを鵜呑みにしたのかとお客様を責める形になってしまったかもと(;´Д`)
 たぶん、「効いた」というのは虫刺されの痒みに『キンカン』を使うようなもので、実のところ『キンカン』には炎症を止めるほどの効力は無いし、痒み止めといえる成分も入っていないというのと同じ。
 『キンカン』の主作用は局所刺激で、要するに「痒いところを叩くと神経が麻痺して、痒みも痛みも感じなくなる」というものである。
 喉が痛んで『イソジン』を使ったら、その刺激で痛みが和らぎ、その間に自然治癒したという事なのだろう。
 それを理解したうえでなら、極めて初期の段階での対応としては悪く無い。
 ただ心配なのは、「喉の痛み=風邪」という思い込み。
 喉の痛みは、体内の乾燥や胃炎などといった他の病気も関係するので、くれぐれも「いつも同じ方法」に捕らわれないようにお気をつけください。

以下の記事も読まれています。


 
登録販売者から一言 壱の巻 登録販売者から一言 肆の巻「おくすり手帳と個人情報の使い方」 市販薬購入前チェックシート